大きな挑戦の先で直面した試練

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清田英輝氏が語る、経営者としての責任と再出発

営業会社として事業を伸ばし、売上規模を3億円、5億円へと拡大。人材採用やM&Aにも取り組みながら、清田英輝氏は経営者として着実に歩みを進めてきた。

事業は順調に成長し、会社としても次のステージが見え始めていた。経営者としての階段を一段ずつ上がり、組織も少しずつ大きくなっていく。周囲から見れば、順風満帆に見える時期だったかもしれない。

しかし、清田英輝氏の中には、どこか言葉にしづらい違和感もあったという。

「今振り返れば、違和感はあったのだと思います。ただ、その時は自分でも気づいていませんでした」

目の前の事業を伸ばすこと。会社を大きくすること。さらに高い目標を掲げ、次の挑戦へ進むこと。当時の清田英輝氏は、経営者としてもっと上を目指したいという思いを強く持っていた。

その中で出会ったのが、あるスタートアップ事業だった。

それは、AIを活用した防犯カメラの事業である。


AI防犯カメラ事業との出会い

当時、日本では防犯カメラの普及が海外に比べて進んでいないと言われていた。防犯カメラは安全を守るために必要な存在である一方で、「常に見られているようで抵抗がある」「プライバシーが気になる」といった声も少なくなかった。

そこで、その事業が掲げていたのが、AIを活用したプライバシー保護型の防犯カメラだった。

通常時は人物にモザイクがかかり、必要な場面でのみ確認できる仕組み。たとえば、何らかのトラブルや異常が発生した時にだけ、必要な権限のもとでモザイクを外すことができる。防犯とプライバシー保護の両立を目指したサービスだった。

防犯カメラの必要性が高まる一方で、プライバシーへの配慮がより強く求められる時代。その課題をAIの力で解決しようとする考え方に、清田英輝氏は大きな可能性を感じた。

「これは日本に必要な事業だと思いました。防犯カメラがもっと広がれば、安全にもつながる。ただ、プライバシーの問題もある。そこをAIで解決できるなら、すごく意味のある事業だと感じました」

さらに、その防犯カメラは高額な設備として導入するものではなく、サブスクリプション型で手軽に使えるサービスとして広げていく構想だったという。

「ワンコインに近い価格帯で使えるようになれば、導入のハードルは下がります。防犯カメラが必要だと思っていても、費用面で踏み切れない人や企業もいる。そこに可能性を感じました」

社会課題を解決しながら、事業としても大きく成長する可能性がある。清田英輝氏にとって、その事業は非常に夢のあるものに映った。


3,000万円の出資を決断した理由

清田英輝氏は、それまでにもM&Aを通じて事業を成長させる経験をしてきた。既にある事業を引き継ぎ、価値を高め、さらに伸ばしていく。そうした経験はあった。

しかし、このスタートアップ事業への参加は、それまでのM&Aとはまったく異なるものだった。

まだ何も形になっていない段階から、未来の可能性に賭ける。完成された価値を買うのではなく、これから生まれる価値を信じて飛び込む。その意味で、清田英輝氏にとっては大きな挑戦だった。

当時、最も多く出資している人物の金額が3,000万円だと聞いた清田英輝氏は、自らも同額の3,000万円を出資することを決めた。

「正直に言うと、詳しいことをすべて理解していたわけではありません。ただ、発起人の方のビジョンや熱量に惹かれました。100億を目指すなら、もっとすごい人たちと関わりたい。そういう思いもあったのだと思います」

清田英輝氏は、単なる投資家として関わるつもりではなかった。

出資だけでなく、自らの強みである営業面でも事業に貢献しようとした。発起人からも歓迎され、清田英輝氏自身も大きな期待を胸に事業へ参加した。

「出資もするし、営業もする。自分が持っている力を使って、この事業を広げていきたいと思いました」

AI防犯カメラという社会性のあるテーマ。成長の可能性を感じるビジネスモデル。そして、発起人の掲げるビジョン。

それらが重なり、清田英輝氏は大きな期待を持ってスタートアップの世界へ踏み出した。


順調に見えた事業拡大

事業への参加後、清田英輝氏は資金調達にも関わりながら、販売拡大に向けて動き始めた。

スタートアップとして段階的に資金を集め、販売台数を伸ばし、事業基盤を構築していく。大企業からの出資も見え始め、事業は順調に進んでいるように見えた。

「資金調達も進み、あとは販売台数をしっかり伸ばしていくだけだと思っていました。僕らも営業の部分で力になれると思っていたので、前向きに取り組んでいました」

清田英輝氏にとっても、自分のこれまでの経験を活かせる領域だった。

営業会社として培ってきた販売力や現場感覚。それを新しい事業の成長に結びつけることができれば、事業は大きく伸びるかもしれない。そんな手応えもあった。

しかし、ある料金プランやインセンティブ設計をめぐって、関係者の間に認識のズレが生じる。

当初は取締役陣の同意を得て進めていたはずのプランだった。しかし後になって、「そのような料金プランは聞いていない」という声が上がったという。

そこから、状況は大きく変わっていく。


認識のズレから生まれた対立

料金プランをめぐる認識の違いは、やがて関係者間の対立へと発展していった。

清田英輝氏としては、合意を得たうえで進めていたという認識があった。一方で、別の関係者からは異なる主張が出てくる。どちらの認識が正しいのか、当事者間で整理すべき問題だった。

しかし、その問題は内部だけにとどまらなかった。

清田英輝氏や代表者に対して、不正な取引があったかのような内容が発信されるようになったという。長文のメッセージが繰り返し送られ、やがてインターネット上にも情報が広がっていった。

「僕自身は何もやっていないという思いがありました。だから、認めるわけにはいきませんでした」

突然、身に覚えのない内容が広がっていく。自分の会社にも影響が及び始める。清田英輝氏にとって、それは大きな衝撃だった。

最初は、とにかく事態を止めようとしたという。しかし、情報の拡散は簡単には止まらなかった。

インターネット上で一度広がった情報は、事実関係が十分に整理されないまま、一人歩きしてしまうことがある。清田英輝氏は、その怖さを身をもって知ることになった。


金融機関からの信用にも影響

インターネット上で情報が広がったことで、清田英輝氏の会社にも具体的な影響が出始めた。

特に大きかったのが、金融機関からの信用への影響である。

清田英輝氏は、事情を説明するために金融機関へ何度も足を運んだ。しかし、金融機関の判断は慎重だった。

「事情は説明しました。ただ、金融機関としては、どうしても動きづらい状況だったのだと思います」

融資が通らない。
口座が作れない。
住宅ローンの審査にも影響が出る。

経営者として事業を続けていくうえで、金融機関との関係は非常に重要である。その信用に影響が出ることは、会社にとって大きな打撃だった。

それまで積み上げてきたものが、突然大きく揺らいでしまう。清田英輝氏は、精神的にも追い込まれていった。

「本当に嫌だと思いました。体重も56キロぐらいまで落ちました。今は75キロありますが、当時は周りから見ても分かるくらいだったと思います」

事業のトラブルだけではない。会社の信用、自分自身の信用、そしてこれからの経営にまで影響が出る。清田英輝氏にとって、それは経営者人生の中でも非常に苦しい時間だった。


「自分は悪くない」から「自分にも責任がある」へ

当初、清田英輝氏の中には「自分は悪くない」という思いが強くあった。

身に覚えのないことを認めるわけにはいかない。事実ではないものを事実として受け入れることはできない。その気持ちは当然のものだった。

しかし、時間が経つにつれて、清田英輝氏は少しずつ別の視点も持つようになる。

たとえ自分が直接何かをしたわけではなかったとしても、経営者として見落としていたことはなかったのか。人に任せすぎていなかったか。確認すべきことを確認していたのか。

そうした問いを、自分自身に向けるようになった。

「自分にも悪かったところがあると思いました。人に任せすぎていたし、確認しなければいけないところを確認していなかった。そこは経営者として甘かったと思います」

会社が成長すれば、すべてを一人で抱えることはできない。人に任せることは必要であり、組織を大きくするうえでは欠かせない。

しかし、任せることと、任せきりにすることは違う。

任せたとしても、最終的な責任は社長にある。問題が起きた時に「自分は知らなかった」では済まされない。

清田英輝氏は、その現実を痛感した。


危機の中で見えた人間関係

苦しい状況の中で、清田英輝氏は人間関係についても深く考えることになった。

危機に直面した時、人の本音が見えることがある。助けてほしいと頭を下げた相手が、必ずしも期待した行動を取るとは限らない。信じていた人が、思わぬ方向へ動くこともある。

清田英輝氏も、そのような経験をしたという。

「そういう時だからこそ、人の本音が出るのだと思います。ただ、それも自分が招いたことです。自分が社長として、しっかり見られていなかったから起きたことだと思いました」

清田英輝氏は、これまで共に働いてきた人たちとの関係を整理する決断をした。

もともと、人を切ることが得意なタイプではなかったという。だからこそ、その決断は簡単ではなかった。

それでも、会社を立て直すためには、必要な選択をしなければならなかった。

「今までありがとう」

そう伝え、清田英輝氏は組織の整理に踏み切った。


2024年末から2025年へ。整理と再建の時間

2024年の終わり頃から2025年にかけて、清田英輝氏は会社の整理と再建に向き合い続けた。

人間関係の整理。事業の見直し。会社として守るべきものの確認。経営者として、自分がどこまで責任を持つべきなのか。

それまで見過ごしていたもの、任せきりにしていたもの、確認できていなかったものに、一つひとつ向き合っていった。

その時間は決して楽なものではなかった。

しかし、清田英輝氏は、この経験があったからこそ、自分自身も会社も立て直すことができたと振り返る。

「今回のことがあったからこそ、会社をちゃんと立て直すことができました。僕自身も、自責で考えて、自分が変わらなければいけないと思えました」

自分以外の誰かのせいにするのではなく、自分が変わる。
社長として責任を持ち、会社を前に進める。

清田英輝氏は、この苦しい経験を通じて、経営者としての考え方を大きく変えていった。


経営者の仕事は、決断し、責任を取ること

清田英輝氏は、この一連の出来事を通じて、ようやく本当の意味で経営者になれたと語る。

会社が小さいうちは、自分一人の責任で済むこともある。自分が頑張れば何とかなる場面も多い。

しかし、会社が大きくなれば、自分の判断が従業員や取引先、金融機関、関係者にまで影響を与える。社長の決断一つで、会社の未来が大きく変わる。

「会社が大きくなると、自分の判断や確認不足が、周りにも影響してしまいます。任せていたとしても、トラブルが起きた時に責任を取るのは社長です」

経営者の仕事とは、決断すること。
そして、その決断の責任を取ること。

清田英輝氏は、苦しい経験を通じて、その重みを深く知ることになった。

今では、人に任せる時にも、以前とは違う意識を持つようになったという。ただ任せるのではなく、任せ方を考える。必要な確認を怠らない。最終責任は自分にあるという前提で判断する。

それは、経営者としての成長でもあった。


過去と向き合い、未来へ進む

今回の出来事は、決して簡単に語れるものではない。

関係者同士で向き合い、解決すべきこともある。今なお整理すべき課題も残っている。

ただ、清田英輝氏は、その経験から目を背けるのではなく、自分自身を見つめ直すきっかけとして受け止めている。

インターネット上での情報拡散。金融機関からの信用への影響。人間関係の変化。会社の再建。

その一つひとつは、清田英輝氏にとって大きな痛みを伴うものだった。

しかし、その痛みがあったからこそ、自分が本当に向き合うべきものが見えた。

会社を大きくすることだけが経営ではない。
人に任せることだけが組織づくりではない。
挑戦することには、責任が伴う。

清田英輝氏は、そのことを深く学んだ。

そして今、清田英輝氏の視線は未来へ向いている。

人と企業を再生する。
もう一度前を向くきっかけを提供する。

自身が経験した試練があるからこそ、同じように苦しい状況にある人や企業に寄り添えるのかもしれない。

過去の出来事をなかったことにするのではなく、そこから学び、次へ進む。清田英輝氏は、経営者としての責任を胸に、新たな一歩を踏み出そうとしている。


次回は、清田英輝氏が描く未来へ

大きな挑戦の中で試練に直面し、自分自身と会社を見つめ直した清田英輝氏。

その経験は、清田英輝氏にとって苦しい時間であると同時に、経営者としての責任を深く知る転機でもあった。

次回は、清田英輝氏がこれからどのような未来を描き、どのような事業に取り組んでいくのか。

再出発の先にある想いと、これからの展望に迫っていく。

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