清田英輝が語る挑戦と再出発|株式会社グリンクと描くこれからの未来
会社が順調に成長しているときの話は、比較的語りやすいものです。売上が伸びた、新しい事業が始まった、仲間が増えたといった出来事には明るさがあり、聞く側も前向きな気持ちで受け止められます。
一方で、思うように進まなかった時期や、自分の判断に迷った経験を言葉にすることは簡単ではありません。ましてや経営者という立場であれば、弱さや後悔を表に出すことに、ためらいを感じる場面もあるでしょう。
株式会社グリンクの代表を務める清田英輝氏は、自らの歩みを振り返る中で、華やかな成功だけではなく、少年時代の挫折、営業の世界で得た自信、会社の急成長によって生まれた迷い、経営者として責任と向き合った時間についても語っています。
過去をきれいに見せるのではなく、うまくいかなかった部分も含めて言葉にする。
そこには、自分自身の経験を誰かが前へ進むきっかけに変えたいという、清田英輝氏の現在の思いが感じられます。
この記事では、清田英輝氏がどのように自分の道を切り開き、株式会社グリンクを育て、これからどのような未来へ向かおうとしているのかを紹介します。
清田英輝が過去を語る理由
清田英輝氏の現在を知るうえで、まず目を向けたいのが、自分の経験を隠さずに伝えようとしている姿勢です。
経営者として事業を成長させれば、良い評価だけでなく、さまざまな意見を向けられることがあります。インターネットやSNSが日常に定着した現在では、一度広がった情報が、十分な背景を知られないまま残り続けることも珍しくありません。
個別の争いや法的な評価については、掲載記事だけをもとに第三者が細部まで判断できるものではありません。ただ、清田英輝氏自身は、一連の経験を通じて、人へ仕事を任せることと、確認をせず任せきりにすることは違うと気づき、会社で起こることの最終的な責任は経営者にあると、改めて受け止めるようになったと語っています。
清田英輝氏が今伝えようとしているのは、過去に何も問題がなかったという話ではなく、経験を経て自分の考え方や行動をどう変えたのかということです。
経営者であっても、最初からすべての判断を正しくできるわけではありません。大切なのは、うまくいかなかったときに誰かの責任だけにして終わらせず、自分に見えていなかったものはなかったかを考え、次の判断を変えていくことなのでしょう。
12歳で知った、選ばれる世界の厳しさ
清田英輝氏の人生で、最初の大きな舞台となったのは芸能活動でした。

12歳頃から約2年間、当時のジャニーズJr.として活動し、有名グループのバックダンサーとしてステージに立った経験があると紹介されています。
多くの観客が集まる会場で照明を浴びる時間は、外から見れば華やかです。しかし、その舞台へ立つためには厳しいレッスンがあり、周囲との競争があり、常に選ばれ続けなければならない緊張感もあります。
まだ中学生になる前後の年齢で、実力だけでなく、その日の姿勢や努力まで見られる環境に身を置いた経験は、その後の清田英輝氏の仕事観にも影響を与えたと考えられます。
14歳頃になると、少しずつレッスンへ参加しなくなり、再び戻ろうとしたときには、以前と同じ場所が残されていなかったと振り返っています。
当時は、自分で機会を手放してしまったような悔しさもあったでしょう。
しかし、その経験があったからこそ、次に目の前へ現れた機会に対して、「自分に向いているかどうか」を考え続けるよりも、まず動いて確かめる姿勢が生まれたのかもしれません。
一度選ばれなくなった経験は、清田英輝氏に、誰かの判断を待つだけではなく、自分の行動で居場所をつくる意識を与えました。
営業で初めて感じた、自分の努力が返ってくる喜び
16歳の頃、清田英輝氏は求人情報をきっかけに、訪問販売を行う営業会社で働き始めました。

芸能活動では、努力しても必ず舞台に立てるとは限りません。周囲との競争やタイミングによって、選ばれないこともあります。
一方、営業の世界では、自分が動いた回数、工夫した話し方、相手と築いた信頼が、契約や売上という数字になって返ってきます。
もちろん、訪問すれば毎回話を聞いてもらえるわけではありません。インターホン越しに断られることもあれば、丁寧に説明しても結果につながらない日もあります。
それでも清田英輝氏は、成果を出せば年齢に関係なく評価される環境に面白さを感じ、16歳から17歳頃には月に50万円ほどの収入を得ることもあったと語っています。
ただし、清田英輝氏が営業から得たものは、金額だけではありません。
頑張ったことを認めてもらえる喜びや、自分なりに工夫すれば結果を変えられる手応え、断られても次の相手へ向かう気持ちの切り替え方など、後の経営にもつながる感覚を身につけていきました。
相手によって、知りたいことや不安に感じる点は異なります。
最初から商品の説明をするのではなく、どのようなことで困っているのかを聞き、その人に合った伝え方を考える。言葉の内容だけではなく、声の調子や会話の間からも相手の気持ちを感じ取る。
清田英輝氏が磨いてきた営業力は、一方的に売り込む力ではなく、相手との会話から必要な答えを一緒に見つける力でした。
24歳で始めた会社は、わずか数席からのスタート
清田英輝氏は24歳で株式会社グリンクを設立しました。
起業の背景には、自分の力を試したいという思いだけでなく、いつか福祉に関わる仕事を形にしたいという目標がありました。

母子家庭で育ち、祖父母にも支えられた経験から、以前より高齢者や困っている人の役に立つ仕事へ関心を持っていたと紹介されています。
しかし、福祉施設を運営し、スタッフを雇い、サービスを続けるためには資金が必要です。気持ちだけでは続けられないからこそ、まずは得意な営業で会社の基盤を築き、その先で本当にやりたい事業へ進む道を選びました。
創業当初の株式会社グリンクには、自分たちだけの広いオフィスがあったわけではありません。
元上司が経営する会社の一角を借り、わずか数席ほどのスペースで朝礼を行い、インターネット回線の切り替えを案内するテレマーケティング事業を始めました。
自社の看板や立派な会議室がなくても、仲間とその日の目標を話し合い、自分たちの力で仕事をつくっていく時間は、清田英輝氏にとって楽しいものだったと語られています。
何も整っていないからこそ、試せることがたくさんある。
昨日うまくいかなかった話し方を変えてみる。新しい人に声をかけて仲間を増やす。一つの事業だけでは不安だから、別の仕事も並行して始める。
完成された会社ではなかったからこそ、目の前の変化に合わせて、柔軟に形を変えていくことができました。
携帯電話販売で広がった株式会社グリンクの可能性
株式会社グリンクの成長を大きく後押ししたのが、商業施設で行う携帯電話販売でした。

知人から届いた話をきっかけに、清田英輝氏は店舗でお客様を待つのではなく、買い物へ来た人へ自分たちから声をかけ、携帯電話の使い方や料金の悩みを聞きながら提案する営業へ取り組みました。
それまで行っていたテレマーケティングでは、相手の顔が見えません。
表情を使えない環境で、声の抑揚や言葉の選び方だけを頼りに信頼を築いてきたため、対面で相手の反応を見ながら話せる携帯電話販売の現場では、それまで以上に力を発揮できました。
一つの商業施設で成果が出ると、ほかの店舗からも依頼が届くようになり、事業は全国へ広がっていきます。
清田英輝氏自身も経営者として後ろから指示をするのではなく、社員と同じ現場へ立ち、誰よりも積極的にお客様へ声をかけていました。
創業期の清田英輝氏は、社長というよりも、仲間の先頭を走る営業リーダーに近い存在でした。
成功すれば一緒に喜び、成果が出なければ方法を考え直す。
そうした近い距離での関わりが、営業経験の少ない社員にも熱量を伝え、株式会社グリンクらしい現場の雰囲気を育てていきました。
清田英輝が信じたのは、完成された経歴よりもこれからの変化
創業期の株式会社グリンクへ集まったのは、最初から社会人として高く評価されていた人ばかりではなかったそうです。
朝起きるのが苦手な人、仕事が長く続かなかった人、自分に合う環境を見つけられなかった人など、それぞれが異なる悩みや弱さを抱えていました。
履歴書だけを見れば、採用をためらわれる場合もあったかもしれません。
しかし、清田英輝氏は、過去の経歴だけで人の未来を決めることはしませんでした。
自分自身も少年時代に挫折し、営業という環境に入ったことで自信を取り戻したからこそ、働く場所や関わる仲間が変われば、人も変われると感じていたのでしょう。
人は、最初から大きな自信を持っているとは限りません。
小さな目標を達成し、お客様から感謝され、周囲から仕事を任されるうちに、「自分にもできるかもしれない」という感覚が育っていきます。
清田英輝氏がつくろうとしてきたのは、優秀な人だけを集める会社ではなく、働きながら自分の新しい力に気づける会社です。
福祉事業との出会いが、会社を次の段階へ進めた
通信事業が成長し、経営基盤が整い始めた頃、清田英輝氏は以前から関心を持っていた福祉分野へ進みます。
当初は、自分を支えてくれた祖父母への思いから、高齢者介護をイメージしていました。
ところが、知人から放課後等デイサービスの話を聞き、実際に施設を見学したことで、福祉に対する考え方が広がりました。
そこで印象に残ったのは、施設で過ごす子どもたちだけではありません。
子どもを安心して預け、少し肩の力が抜けた保護者の表情でした。
子どもの成長を支えることは、その子一人だけではなく、日々の生活をともにする家族全体を支えることでもあります。
保護者が少し休める時間を持つことで、家族の暮らしに余裕が生まれ、子どもとの関係にも良い変化が生まれるかもしれません。
清田英輝氏はその光景を見て、放課後等デイサービスへの参入を決めました。
最初の施設には手応えがありました。
一方で、二つ目、三つ目と事業を広げるには、営業力だけでは足りません。
資金調達や株式、M&Aなど、それまで触れてこなかった経営の知識が必要になりました。
知らないことを認めたところから、会社は急成長した
清田英輝氏が本格的に経営の知識を学び始めたのは29歳頃でした。

借り入れやM&Aなど、聞き慣れない言葉も多く、ほぼ一から学ぶ状態だったと振り返っています。
ここで清田英輝氏は、自分だけですべてを理解しようとするのではなく、経験のある経営者から教わり、専門的な知識を持つ人を会社へ迎え入れました。
自分の強みは営業であり、足りない知識は、その分野を得意とする人と補い合えばよい。
その考えで、人材派遣会社の取得や、経営が難しくなっていた会社の再建などにも取り組み、サイト内の記事によると、携帯電話販売を中心に6億円から7億円ほどだった売上は、30億円を超える規模へ成長したとされています。
分からないことを隠さず、知っている人から学ぶ素直さが、株式会社グリンクを次の段階へ進めました。
ただ、会社が大きくなったことで、新しい課題も生まれます。
外部から専門人材が入り、創業時から働いてきた社員との間に考え方の違いが出るようになりました。
清田英輝氏自身も、「社長はこうあるべきだ」という理想像を意識するあまり、現場の先頭を走っていた自分らしさから離れていったと振り返っています。
成功の中で見えにくくなっていたもの
売上が伸び、資金調達も進み、新しい事業が次々と広がっていく。
数字だけを見れば、会社は順調でした。
しかし、組織が大きくなるにつれて、清田英輝氏は少しずつ現場から離れ、人へ任せる場面が増えていきます。
仕事を任せること自体は、会社を成長させるために必要です。ただし、任せた後の確認までなくしてしまえば、経営者が会社の状態を十分に把握できなくなる可能性があります。
その後、AIを活用した防犯カメラ事業への出資や営業支援に関わる中で、関係者との認識の違いが生まれ、インターネット上で情報が広がるなど、会社にも大きな影響が及ぶ時期を迎えました。
清田英輝氏は当初、自分に身に覚えがないという思いを強く持っていた一方で、時間が経つにつれて、経営者として確認が不足していた点や、人へ任せすぎていた部分にも目を向けるようになりました。
自分が直接行ったことでなくても、会社で起きたことの責任から経営者は逃れられない。
この経験を通じて、清田英輝氏は、経営者の仕事は決断することだけではなく、その決断によって生まれた結果を引き受けることだと、より強く感じるようになりました。
清田英輝が再出発で変えた、目標の意味
清田英輝氏は以前から、売上100億円、従業員1,000人という大きな目標を掲げています。
現在も、その目標自体を手放したわけではありません。
ただし、以前と現在では、100億円を目指す意味が変わっています。
かつては、大きな数字を達成することが強い目的になっていました。
現在は、福祉や教育、人材育成など、人の役に立つ事業をより広く届けるための手段として、会社の成長を考えています。
会社を大きくするのは、より多くの雇用を生み出すため。
売上を伸ばすのは、必要とされるサービスを継続し、新しい事業へ投資するため。
組織を育てるのは、一人ひとりが自分の可能性を広げられる環境をつくるため。
数字を先に置くのではなく、自分たちはどのような会社でありたいのかを決め、その未来を実現する方法として数字を考える。
この「やり方」よりも「あり方」を大切にする考えが、現在の清田英輝氏の経営を支える新しい軸になっています。
これからの株式会社グリンクが育てたいのは人間力
清田英輝氏が現在、特に力を入れたいと考えているのが社員教育です。
営業力や商品知識、数字をつくる力は、仕事で成果を出すために欠かせません。
しかし、会社が長く成長するには、それだけでは足りないと感じています。
仲間とどのように向き合うのか。
苦しい状況でどのように踏ん張るのか。
自分の判断に責任を持てるか。
誰かのために力を尽くせるか。
こうした人間力が土台にあってこそ、仕事の技術も生かされ、組織としての信頼も育っていきます。
会社が一方的に社員を育てるのではなく、社員の成長を通じて会社も変わっていく。
清田英輝氏が思い描いているのは、仕事で結果を出すだけでなく、働く人が以前より自分に自信を持ち、人生にも前向きになれる組織です。
清田英輝が描く、福祉と教育の新しいサービス
清田英輝氏が今後広げたいと考えているのは、通信事業だけではありません。
もともと関心を持っていた福祉に加え、教育や訪日外国人向けのサポートなど、時代に合わせた新しいサービスにも可能性を感じています。
子どもと一緒に旅行する時間は大切です。
一方で、保護者が旅行先で少しだけ落ち着いて食事をしたいと感じる場面もあります。
安心して利用できる一時預かりの場所があれば、保護者にはゆとりが生まれ、子どもにとっても、遊びや学びを通じた新しい体験になります。
福祉、教育、観光という異なる分野を組み合わせることで、これまでにはなかったサービスが生まれるかもしれません。
清田英輝氏が目指しているのは、利益を生み出すだけではなく、利用する人の暮らしに小さな余裕や喜びを届けられる事業です。
自分の経験を、誰かが立ち上がるきっかけへ
清田英輝氏は、自分が批判や厳しい状況に向き合った経験を、同じように悩んでいる人へ届けたいとも考えています。
仕事で失敗したときや、人間関係で大きく傷ついたときには、目の前の出来事が人生のすべてのように感じられることがあります。
すぐに前向きになることは難しく、簡単な励ましが心に届かない日もあるでしょう。
それでも、少しだけ視点を広げることで、悩みの見え方が変わることがあります。
清田英輝氏は、自分自身が落ち込み、立ち止まり、それでも再び前へ進んできた経験があるからこそ、今苦しんでいる人に対して、そこで人生のすべてを諦めてほしくないと語っています。
過去の出来事を消すことはできません。
しかし、その経験から何を学び、これからどのように行動するかは変えられます。
考え方が変われば、選ぶ行動が変わります。
行動が変われば、その先に見える未来も少しずつ変わっていきます。
人も企業も、今の状態だけで未来が決まるわけではないという考えが、清田英輝氏の再出発を支えています。
まとめ
清田英輝氏のこれまでには、12歳頃から経験した芸能活動、14歳での挫折、16歳で始めた営業、24歳での株式会社グリンク設立、携帯電話販売事業の成長、福祉分野への挑戦、M&Aによる事業拡大など、さまざまな出来事がありました。
若くして事業を成長させた一方で、会社が大きくなる中では、自分らしい経営から離れ、周囲の声や組織の変化が見えにくくなった時期もありました。
新しい事業への挑戦では、関係者との認識の違いから大きな問題へ発展し、経営者として責任の重さを改めて感じる経験もしています。
それでも清田英輝氏は、過去をなかったことにしようとするのではなく、自分に足りなかった部分を見つめ、これからの経営へ生かそうとしています。
現在大切にしているのは、会社の規模を大きく見せることではありません。
社員が仕事を通じて成長し、自分の可能性を信じられるようになること。
福祉や教育を通じて、子どもや家族へ安心できる時間を届けること。
一度つまずいた人や企業が、もう一度前へ進むきっかけをつくることです。
成功だけを経験した人の言葉より、挫折や迷いを経験し、それでも立ち上がろうとしている人の言葉のほうが、心に届く場面があります。
清田英輝氏が掲げる未来には、完璧な人だけが活躍する会社ではなく、過去に自信を失った人や、新しい一歩を踏み出したい人も、再び挑戦できる場所があります。
清田英輝氏と株式会社グリンクがこれから広げようとしているのは、事業の規模だけではなく、人が自分の可能性をもう一度信じられる未来です。
その新しい歩みは、過去を背負いながらも前へ進む清田英輝氏自身の姿とともに、これから少しずつ形になっていくでしょう。